『アイ・アム・サム』の天才子役が“ヤンキー娘”に変身!?
天才子役ダコタ・ファニングが新作『PUSH 光と闇の能力者』(11月7日公開)で女優人生の新たな1ページを開いた。今回、彼女が演じるのは“WATCH(ウォッチ)”という予知能力を持つエスパー少女なのだが、その出で立ちに正直ビックリ!
美しい金髪に明るい色使いの服を着こなす、文字通り“女の子”という印象が強かったダコタだけど、本作では長く伸ばした髪 に赤などのメッシュを入れ、ラフな黒Tシャツ(なんと自前!)に丈の短いアウターを羽織って登場。セクシーなミニスカートとロングブーツで長い足を飾るそ の姿は、まさに“ヤンキー娘”!?
本作のインタビューで彼女は「演じた役柄は自分と正反対だけど、自分と全然違う人間になれるところが、演技の楽しいところ」と語っている。『アイ・ アム・サム』(01)や『夢駆ける馬ドリーマー』(05)といった素に近い役どころを経て、本作や『ニュームーン/トワイライト・サーガ』(11月28日 公開)では大人びた表情や演技を披露。
多くの天才子役が大人になるにつれて消えていくケースが多いが、そんなジンクスをはねのけ、大人の女優へと着実にステップアップしている彼女のこれからに注目だ!ロミオとジュリエット
「ロミオとジュリエット」を知っていますか?
シェイクスピア作の有名な戯曲ですよね。対立した家族や周りの状況、運命の悪戯とも呼べる偶然によって最後には二人とも死に至る、という物語。
悲劇的な結末ですが、その劇中、反対の中で二人の愛は冷めることなく、さらに深まっていくのです。
この「ロミオとジュリエット」から名前をつけられた、心理学的な効果があります。
その名も「ロミオとジュリエット効果」。
そのまま、ですね。中身もそのままで、二人の愛が周囲に反対されることによって深まる、ということを指します。恋愛や結婚を反対された場合、祝福されて恋愛や結婚する場合よりも幸せに感じたり、愛情が上回っている、というのです。
ではなぜこのようなことが起きるのでしょう?
それは、周囲の反対という困難を乗り越えるために、二人の間では愛情や絆がより深まります。さらにその困難を乗り越えた暁には二人にしか味わえない達成
感を得ることができます。それが、周囲に恵まれ、何の困難もなかったカップルよりも結びつきが強固になる理由だと考えられます。
「若いときの苦労は買ってでもしろ」ということわざがありますが、二人で一緒に苦労することは恋愛においても決して無駄ではない、ということかもしれません。
セフレ お好み焼き屋で初デート
やれるように考える
やりたくてもできないことはあります。
でも、簡単に「できない」と決めてしまわないほうがいいでしょう。
本当にやりたいことなら、なんとかやれるように一所懸命に考えてあげたほうが(自分のために)いいのではないでしょうか。
やりたいことをやれるように考える第一の方法は、やれない理由を克服する方法を考えることです。たとえば、
「時間がない」「忙しい」という場合には、生活の中になんとかやる時間をつくる方法を考えたり、長期間かけてやる方法を考えてみる。本当にやりたいことなら、忙しくてもできるのではないでしょうか。
「経済的な余裕がない」という場合には、節約や他の事を削ることによってやりたいことをやる資金をなんとか生み出せないか? できるだけお金をかけないでやる方法はないか? などと考えてみる。
「反対している人がいる」という場合には、ねばり強くお願いしてみたり、なんとか説得する方法を考える。
やらない言い訳を考えるより、どうしたらやれるかを考えたほうがいいのではないでしょうか。
やりたいことをやれるように考えるもう一つの方法は、「やりたい気もちを大切に」考えることです。
その方法については、「始めようか? どうしようか?」をお読みください。
また、「やろう」という決断がなかなかできない時には、「決断するために役立つ考え方を試してみてはいかがでしょうか。
現実には、いくら考えてもやれないことはあります。
でも一生懸命に考えたのだったら、その時は「しかたがない」と思えるのではないでしょうか。
でもまた時がたてば、状況も自分も変わります。簡単にあきらめずに、自分のやりたいことを何度でも考え直してあげたほうがいいでしょう。
自分のためによく考えた結果、1つでもやりたいことがやれれば、それは大きいことだと思います。というより、(「やりたい」という)自分の気もちをちゃんと考えられる自分になることが、いちばん大きいような気がします。
やりたいことをやれるように一所懸命に努力してみてはどうでしょうか。
その結果、やれるようになったことは、いっそう「やれる喜び・幸せ」を感じられるのではないでしょうか。
弱いからこそ満たされる
せっかく他人に親切にしてあげたのに、相手に一言の礼もいわれず、腹が立つことがあります。
他人から親切を受けたときに礼を言うのは、もちろん、人間として最低限のマナーです。しかし、マナーとは、自発的に行うものだからこそ意味があるのです。
相手に「礼を言え」と強要し、無理やり言わせて満足している人は、感謝というものの本当の意味が判っていないのです。
「礼を言わない人」への怒りを抑えるもっともよい方法は、自分が他人に礼を言うときには、心を込めて言うことです。
「感謝とは、自発的に、心を込めて行うもの」だということが判っていれば、他人に礼を言われるかどうかなどということは気にもならないはずです。
他人に対する不満は、実は、自分自身に向けられていることが多いものです。
自分の劣等感や罪悪感を認めることが苦しいから、問題を他人事にすり替えてごまかしているのです。
ある女性は、恋人がギャンブルでつくった借金を何度も肩代わりさせられ、つらい思いばかりさせられているのに、なかなか別れることができません。
彼女の言い分は、「彼は、私がいてあげないとダメだから」ということです。
しかし、もはやそれは愛情ではなく、優者が劣者を憐れむ同情にすぎません。
彼女は、彼に必要とされているのではなく、必要とされることを必要としているにすぎないのです。内心では、彼がいつまでもダメ人間であり続け、自分に頼ってくれることを願っているのです。
借金の肩代わりをすることが、よけいに彼をダメにし、自分自身もダメにしていることに気づかなければなりません。
いずれも、相手に依存しておきながら、相手よりも優位に立ちたいという欲求がもたらした苦悩です。
「人の役に立つ人間になりたい」という願望は、悪いことではありませんが、ともすれば、他人に感謝されることによって自分の優位を確保し、相手を心理的に支配したいという利己的な欲求とはき違えられがちです。
本当の幸福は、他人に譲ることで感じられるものです。
他人に優位を譲りながら、自分の心も満たされることができれば、これに勝るものはありません。
無気力に他人に屈するのではなく、意志と誇りをもって優位を譲るのです。たとえそれが自己満足であっても、不満を並べるだけの人生よりはよっぽどましです。
他人を立てることは、けっして自分の価値をおとしめることにはなりません。
他人に何かをしてもらわなければ満足できない人こそ、自分の価値をおとしめているのです。
「思い通りにならない人生」を受け入れるということは、自分を無価値な人間だと卑下することとはまったく異なります。
他人から認めてもらえず、自信を失っている人にとって必要なことは、くじけないように自分を奮い立たせることではなく、他人に負けない強さを身につけることでもなく、「多くの縁のおかげで、自分は生かされている」という感謝の心をもつことです。
他人が自分よりも優れていたり、恵まれていたりするときは、ただそれを素直に認めるのはよいのですが、卑屈にいじけるのはよくありません。
勝つか負けるかの競争の中では、けっして幸せは見つけられません。
「もっと欲しい」という不満に悩まされ続けるよりも、「もらいすぎては申し訳ない」という心構えをもっていたほうが、はるかに心豊かに生きられます。
人は誰でも、自分が一番大切です。それはまっとうな自己愛であり、無理に抑える必要はないのですが、他人にもその自己愛を押しつけてはいけません。
他人にとっては、やはりその人自身が一番大切なのです。
自己愛をもつ人間同士、互いを認め合うということが重要です。
落とす話術
相手が落ちる時の90%以上は、「話している時」だと言われています。
言うまでもなく、会話はコミュニケーションの大部分を占めています。
「情報を伝える」事だけならメールでも事足りますが、
相手との距離を近づけるためには、やはり会話は欠かせません。
でも、それだけ会話が重要であるにもかかわらず、
多くの人が「話すのは苦手」という意識を持っていませんか?
面白い話で笑わせられない。
どもったり、黙り込んでしまう。
逆に、自分一人で話し過ぎてしまう。
では、話し上手になるためにはどうすればいいのか?
良く言われるのは、「話し上手は聞き上手」と言うコトですね。
相手の話を良く聞いて理解するために、
あなたもこんな方法を目にした事があるはず。
○話すよりも、聞く方を多くする
○人の話に合わせてあいづちを打つ
○相手の話に興味を持って聞く
こうしたポイントは、非常に良く言われていることです。
でも実は、このポイントを忠実に守っていても、
ほとんどの人は話し上手になれないんです。
「人の話はちゃんと聞いてるけど、話が繋がらない」
「あいづちも打っているのに、いまいち相手の反応が悪い」
あなたも、そんな事を感じたコトがありませんか?
ただ相手の話をしっかり聞いていれば良いはずなのに、会話が弾まない。
ちゃんと聞いているのに、相手との距離が縮まらない。
なぜ、こんなコトが起こってくるのでしょうか?
実は、一般的に言われている「聞き上手になるためのポイント」。
これがそもそも、少しズレているのです!
○話すよりも、聞く方を多くする
○人の話に合わせてあいづちを打つ
○相手の話に興味を持って聞く
これらのポイント、決して間違ってはいません。
確かに聞き上手な人には、このような共通点があります。
でも、それはごくごく「表面」であって、「本質」ではないんです。
では、相手の話を本当に聞くと言う事は、どういう事なのでしょうか?
話術のレベルを見ていくことで、話し上手への道を探ってみましょう!
◆「聞く」のレベル
聞くと一言に言っても、そのレベルは4つに分かれています。
レベル1.「相手の話が耳を素通り」
説教や小言を言われている時に良く見られます(笑)
相手の話をな~んにも聞いていない状態ですね。
このレベルは問題外なので、次に進みましょう。
レベル2.「相手が言おうとしている情報を理解する」
相手の伝えたい「情報」を理解する。いわゆる「聞く」です。
このレベルだったら、メールなどのテキストでも十分に可能です。
男性は理論的に物事を考えたがる傾向があるので、
プライベートでもこのレベルの聞き方になる人が多いようです。
レベル3.「相手が言おうとしている感情を理解する」
ここまで来ると、「聞く」ではなく「聴く」レベルになります。
相手が伝えている情報だけではなく、その感情まで含めて理解する。
これが出来てこそ、話し手も話し甲斐があると言うものです。
女性は会話の内容と言うよりは感情を理解しよう、伝えようという
傾向が強いので、このレベルの人が多くいます。
ちなみに冒頭に述べた、
○話すよりも、聞く方を多くする
○人の話に合わせてあいづちを打つ
○相手の話に興味を持って聞く
と言うポイントは、全てココのレベルに対応しています。
男女で比較してみると、
男性はレベル2「情報」として理解し、
女性はレベル3「感情」として理解するという違いがありますね。
良く「男性が話を聞いてくれない」と言いますが、
情報としてはちゃんと伝わっているんです。
ただ、どうしても会話のレベルが異なっているので、
感情まで含めた聞き方が出来ず、会話がずれてしまうワケです。
◆隠された「レベル4」
さて、一般的ないわゆる「話し上手」と言うのは、
ココまでのレベルです。
相手の言っている情報も、気持ちも理解する。
それが出来れば、最高ですね。
しかし、実はこの先に、
さらに上のレベルがある事はあまり知られていません。
隠された最後の「レベル4」は、
レベル3までとは比べ物にならないほど強力です。
悪用すれば、犯罪や洗脳に使われてしまうこともあるほど。
では、そのレベル4とは一体何なのでしょう?
長くなってしまったので、その答えはまた次回!
次はちょっと危険な内容なので、悪用は絶対に厳禁ですよ。
【今日のモテずにモテる!方程式】
◆聞き上手は話し上手。
話術があれば落としやすい。
◆レベル1は、「耳を素通り」。
レベル2は、「情報を理解」。
レベル3は、「感情を理解」。
◆しかし実は、もう一つ上の「レベル4」が隠されている。
最後のレベルは、非常に強力。
若きシェフのたくらみ
ある街道沿いに新しいレストランがオープンした。その街道は県道だが渋滞することでよく知られている。街道沿いに広めに取られた歩道を歩いていた時、いつの間にかその店が開店していることに気がついた。そこでためしに昼食をとることにしたのだ。
店の前に立っていたら女性従業員が入り口のドアを開け中に案内してくれた。そこまでは良かったのだが、案内されたテーブルがたまたまスピーカーのそばで
音量が大きくちょっとうるさい。しかも出てきたお冷やには柑橘系の香りがついていた。食器洗い用洗剤を連想してしまった。
料理はランチだけでABCの三種類しかない。そこで値段が真ん中のBランチを選んだ。950円でデザートや飲み物が付く。料理が出てくると間もなく私は
いつものようにいつものペースで食べ始めやがて食べ終えた。もしかしたらこの料理は旨かったのかも知れない、と気がついた時には遅かった。習慣とは恐ろし
いもので、味わいの時間は放たれた矢のように過ぎ去ってしまったのだ。
ご存じのように、食によって得られる快感は旨さとそれを味わう時間の積に比例する。
主菜を食べ終えた頃、頭に白く長い帽子を被った若いシェフがやってきた。「食事はいかがでしたか」。”しまった。このシェフは本気だ”と思った。感想を語るほどじっくり味わってはいない。油断していた。
食後に各テーブルにシェフが出てきて客と会話するのは珍しくないが、Bランチくらいで出てきた理由は何だったのだろうか?シェフとの会話で、スープも主菜もシェフの新しい試みであったことが解った。
ご存じのように、料理の旨さは料理人の熱意に比例する。
それからしばらくするとデザートがやってきた。いろいろな香りが重なりあいながらもくどくならず涼しげなデザートに仕上がっている。たしかにこのような
創作デザートはチェーン店には無い。気のせいかアイスコーヒーまで旨く感じる。主菜を味わい尽くせなかったことが悔やまれる。デザートつきで一食千円を下
回る値付けがされているのはどうしてなのだろうか?おそらくランチを夜のディナーへの誘い水ととらえているからに違いない。
店を出て入り口に戻り店の名前(MELANGER*)を確認したがフランス語で書かれており発音が解らない。帰宅後にネットで検索してみたがホームページも見つからない。
こうなったらディナーをじっくり味わうしかない。シェフの企みにまんまと乗ることになるが、それもまたうれしい。
泣いて暮らしても笑って暮らしても・・・
引き算や掛け算は教えてもらったから買い物には困らない。ひらがなや漢字も教えてもらったからメールも書ける。それでも楽しく笑って暮らす方法はいつ教えてくれるのだろうかと待っているとそのまま一生を終わることになる。
世の中には泣きたくなるようなことが毎日の様に起こる。しかも自分自身もまたその例外ではない。泣いて暮らしても笑って暮らしても同じ一生だと言われると笑って暮らしたいものだと考える。ところがそう考えただけではすぐに忘れて元に戻ってしまう。
ある本を読んでいたら地面と星について書いてあった。編者流に原形をとどめないくらいに脚色すると次のような内容になる。
我々は罪を犯した意識も無いのにまるで犯罪者のように牢屋に入って自由を失っている。繋がれた縄を解きたくて仕方が無い。小さな窓の外を眺めながらある人は星の輝きに心を躍らせ、もう一人は灰色の地面を眺めて内も外も同じだと考える。
地面や星は眺めても眺めなくても同じく存在し続ける。特に星は数十億光年のかなたからやってくる光。それはつまり数十億年前に発した過去の光だから変えようがない。それでもその光は脳裏に刻まれて気持ちをくすぐってくれる。
明日もまた牢屋暮らしに違いない。それでもくすぐられた喜びをまた得たいと願って体は動き始める。それはその喜びを再び得られるように体の中のあらゆる部分が働き始める。
そうやって勝手に動き始めるもう一人の自分は親しい友人のようなものだからたまにはそいつのことも考えてあげた方が良い。そいつを励ます方法は笑ってあげることだと思う。そいつは感情に支配されて笑いを自ら作り出すことができない。
ところが自分(自我)は無理矢理笑顔を作り出すことができる。すると、そいつはその笑いに騙されて励まされる。だから自分に降りかかった小さな不幸は笑い飛ばせばいい。大きな不幸がやってきても、ときどき笑顔を見せた方がいい。
死ぬまでの暇つぶし
「人の世は死ぬまでの暇つぶしだ」という言葉は永井路子(みちこ)作「薄闇の桜」のなかに出てきます。この時代小説の主人公はこのことばを思い出し、だいぶ気が楽になり、頑張って生きてみようかと決意します。
編者もかつて自分の犯した過失に罪の意識を感じて暗く重たい時期を過ごしたとき、これと似たような言葉を聞いてずいぶん楽になったことを覚えています。
深刻に考え過ぎて沈んでしまうときでも、その辺に生えている雑草と人間の存在価値を比較したとき、人間とてさほどたいそうな生き物ではな い、と思えば自分は踏まれても踏まれてもしぶとく生き続ける雑草のように生きて行くのも悪くはないという気がしてきて、不思議に気が晴れました。人の目ば かり気にして生きていくのも「暇つぶし」にしては骨の折れる話です。

